今切
後土御門院御宇明応八年六月十日、大地震して、湖と潮とのあいだきれて海とひとつに成て入海となる、これを今切といふ、其後後柏原院御宇永正七年八月廿七日、螺の貝出で山崩れ川埋もれ、舞坂の原を破り、深淵となる、又其後元禄年中、地震津涛ありて、海上あらく風強くして波高く、渡船の災となれば、宝永年中、宮家より有司来り、今切の波頭に数万の杭を打て、逆流をとヾめ、又無坂の方より左へ海中半道の間、波戸を築きて、渡船の風波を穏にし、ゆき、〃、をとヾめず、自由ならしむ、
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項目 | 内容 |
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ID | J00005076 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1510/09/30 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1510/10/10 |
和暦 | 永正七年八月二十七日 |
綱文 | 永正七年八月二十七日(西暦 1510,10,10) |
書名 | 〔東海道名所図会〕○日本名所図会 十七 |
本文 |
今切
後土御門院御宇明応八年六月十日、大地震して、湖と潮とのあいだきれて海とひとつに成て入海となる、これを今切といふ、其後後柏原院御宇永正七年八月廿七日、螺の貝出で山崩れ川埋もれ、舞坂の原を破り、深淵となる、又其後元禄年中、地震津涛ありて、海上あらく風強くして波高く、渡船の災となれば、宝永年中、宮家より有司来り、今切の波頭に数万の杭を打て、逆流をとヾめ、又無坂の方より左へ海中半道の間、波戸を築きて、渡船の風波を穏にし、ゆき、〃、をとヾめず、自由ならしむ、 |
出典 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベース |
ページ | |
備考 |
今切ノ称、其起リ詳ナラズ、東海道名所図会ハ明応中ニ、重編応仁記、足利季世記ハ並ニ永正中ト為ス、紀行ノ諸書ヲ検スルニ、亦明#ナシ、蓋、今切ノ名ニ拠テ之ヲ考レバ、明応七年荒井埼壊シ、今亦陸地没ス、因テ其旧ヲ対ヘテ今切ト云シニ似タリ、後考ヲ俟ツ、 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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