三津湊(みつのみなと)、三津浦とも三津浜ともいふ。本村より、三町許南、にあり。東二見村に属す。新名所歌合の画題なり、
倭姫命、江村湾より、比の川筋に泝り給ひ、御船を停め給ひし所なり。故に、古は、御津と書けり。中世までハ、五十鈴川の下流此の辺に至りて、水幅、数町に亘り、朝暮潮汐の往来せしを以て、浩漫たる一大江河なりき。三津は、即、其の船舶の輻湊せし所なり。明応年中、海嘯の時、川流、直に北に決して、汐合川となり、本川は、却りて、支派の如くなりたり。されば、上世の旧跡に係る諸島も、今は、田圃中のこゝかしこに残れり。