一、永享四年子九月大地震にて当村之内、○長野県下伊那郡神原村、福島ニテ三信鏡ナリ、、子ノ角ヨリ巳の方江長弐拾弐間割、幅壱間半程に震(ユリ)割、村中の者大きに驚き騒キ合ける、此節伊勢浪人青谷源太夫と云者当村に住けるが、此ものは神道両部共に能学ニて、其上占方茂梅花真昜とて惣而寄妙之玄者成故、是を占寄て相尋ルに、火の王水の王と申神は、本地伊奘諾伊奘冊尊にて男女之神也、此日の本を産ミ給ふ、去に依て天照皇大神宮を道引、猿田彦の尊とも現す、今は唱有テ江洲志賀郡に鎮座し給ふ、白髪大明神共、両部ニ而ハ庚申共奉称、依而当村之鬼門に此御神を勧請し奉ルにおひては、何之子細茂有間敷と申ニ付、則チ二神一宇の小社を建立して祭り初ル也、神威加護に依、其分ニて震静り何事なし、依之、源太夫に感状を遣ス、文日ク
一、此度大地震故に既に当所可滅之処、其方一心之思案ヲ以、神慮之加護ニ預ル事偏に其方之働に依て也、依之、当所神仕祭礼之規式向後其方可為支配者也、猶又住居之義可然処を見立、望之場所に可為住居者也、(下略)
一、永享五年(中略)同年当村之岩下井戸の水代リて湯と成、然ニ其上方ニ去ル地震ニて震割たる所より、間弐間程之両方ニ能清水泉出ける故、畿久不渇、此水永ク繁昌の為源太夫護念して、壱方は伊勢清水と号ケて村中の精進井と定む、壱方は常に用る筈に定也、