千里浜 今の南部町大字山内、千里王子祠のある辺、南より西へ十二三町許りの間の海浜をいふなり、「太平記」に元弘元年七月三日、大地震ありて、千里浜の遠干潟俄に陸地となること二十余町とあり、又此所より西岩代の浦より、牟婁郡芳養の浦の間の海底に沓石といふ巌ありて、その高きものは海面に表はれ、長さ二十余町、沖の方へ連りて見ゆるは、蓋し出岬の海嘯などにて闕けたるならんとのことなり、
(○「安政大地震洪浪記」(山下竹三郎著)、「田辺町誌」に同旨の文あり)
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項目 | 内容 |
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ID | J00003151 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1331/08/07 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1331/08/15 |
和暦 | 元徳三年七月三日 |
綱文 | 元弘元年七月三日(西暦 1331,8,15) |
書名 | 〔紀伊通覧〕 |
本文 |
千里浜 今の南部町大字山内、千里王子祠のある辺、南より西へ十二三町許りの間の海浜をいふなり、「太平記」に元弘元年七月三日、大地震ありて、千里浜の遠干潟俄に陸地となること二十余町とあり、又此所より西岩代の浦より、牟婁郡芳養の浦の間の海底に沓石といふ巌ありて、その高きものは海面に表はれ、長さ二十余町、沖の方へ連りて見ゆるは、蓋し出岬の海嘯などにて闕けたるならんとのことなり、
(○「安政大地震洪浪記」(山下竹三郎著)、「田辺町誌」に同旨の文あり) |
出典 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベース |
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備考 | [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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