12 日高郡南部荘山内村の章
又大平記に元弘元年七月三日に大地震ありて千里浜の遠干潟俄に陸地になる事二十余町とあり是等の文に因るに此地古は遠干潟なりしより千里の浜の名起れるならむ按するに古は目津崎三十町許も海上に突出て夫より岩代浜あたりまでも広き浜なりしなるへし岩代の海上より牟婁郡芳養浦まての間沓石といふ巌海底一面にあり其高きもの海上処々にあらはる此浜より見るに其巌の見はるゝ遠き処は二十町許あり旧は出岬なりしに津波なとの時次第に闕けて此のことくなれるならむ今も漸々に闕くといふ元弘に陸地となり後又海となれるなるへし、或は千尋浜を以て千里浜の一名とすといへとも千尋は海底の深、き義にして朋((ママ))に名所にもあらす故にいつれの海にてもよめり、