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項目 内容
ID J00000144
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
0678/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
0678/99/99
和暦 天武天皇六年十二月
綱文 天武天皇七年十二月(西暦 678)
書名 〔豊後国風土記新考〕
本文
五馬(イツマ)山(在郡(〔、在郡、南。、〕)南)。昔者此山有土蜘蛛名曰五馬媛。因曰五馬(イツマ)山。「飛鳥浄御原(アスカキヨミハラ)宮御宇天皇御宇天皇御世戊寅年大有地震山岡裂崩、此山一峡崩落、温(〔慍湯〕)泉処処(〔々〕)而出。湯気熾熱炊飯早熟。但一処之湯其穴似井臼注(口径〔口径〕)丈余無知浅深(〔深浅〕)。水色如紺。常ハ不流。聞人之声。驚慍騰泥一丈余許。今謂慍湯(イカリユ)是也
新考 靭編郷の内なり。箋釈に
後世五馬荘アリ。二十四村ヲ管ス。其聚落(○中心部落)ヲ五馬市ト曰フ。官道アリテ南肥ノ小国ニ達セリ
といひ国志に
五馬山 五馬荘ノ五馬市村ニ在リ。数山連接シ形皆臥馬ノ如シ。故ニ名ヅク
といへり。但本書には土蜘蛛の女酋の名を山名の原(モト)とせり
○飛鳥浄御原宮御宇天皇は天武天皇の御事なり。戊寅は其六年なり(日本紀は壬申より数へたれば戊寅を天皇の七年とせり)○大有地震云々は天武天皇紀七年に
冬十月筑紫国大地震之。地裂広二丈長三千余丈。百姓舎屋毎村多仆壊
とあり。(中略)○今の五馬村の北に中川村ありて玖珠川に跨れるが其北岸なる大字湯山に天箇瀬(アマガセ)温泉あり。又南岸なる大字桜竹にも温泉あり。但本書のイカリ湯は今のいづれにか知るべからず。否温泉にも興亡あれば上古の温泉は必しも残るべからず亀山随筆に「天ケ瀬の慍湯」といへるは妄なり(中略)○常不流といへる、所謂間歇泉なり。常を従来ツネニとよみたれど宜しくツネハとよむべし。常ニハの意なり。騰泥泥は箋釈本に騰沸とあり。一本に騰泥土とあるはわろし。慍湯は久老の如くイカリユとよむべし。(中略)○今も五馬市に五馬媛を祭れる社あり又其隣村塚田(○今の五馬村大字塚田)に塚田媛を祭れる社ありて其祭日にいと淫なる事行はれし山管内志に引ける亀山随筆と彼亀山鈔とに見えたり(亀山鈔の記事は版本には削れり)(後略)
(注、、〔 〕は「風土記」日本古典文学大系、S46・4・10 岩波書店による、)
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
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備考 [古代・中世] 地震・噴火史料データベースでは史料等級で分類しています。本データベースでは史料等級の低いものも表示しており、信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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