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項目 内容
ID J00000075
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
0416/08/22
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
0416/08/23
和暦 允恭天皇五年七月十四日
綱文 允恭天皇五年七月十四日(西暦 416,8,22)
書名 〔日本書紀〕○日本古典文学大系
本文
「日本書紀上」
五年秋七月丙子朔己丑、地震。先是、命葛城襲津彦之孫玉田宿祢、主瑞歯別天皇之殯。則当地震夕、遣尾張連吾襲、察殯宮之消息。時諸人悉聚無闕。唯玉田宿祢無之也。吾襲奏言、殯吉大夫玉田宿祢、非見殯所。則亦遣吾襲於葛城、令視玉田宿祢。是日、玉田宿祢、方集男女、而酒宴焉。吾襲挙状、具告玉田宿祢。々々則畏有事、以馬一匹、授吾襲為礼幣。乃密遮吾襲、而殺于道路。即逃隠武内宿祢之墓域。天皇聞之。喚玉田宿祢。玉田宿祢疑之、甲服襖中、而参赴。甲端自衣中出之。天皇分明欲知其状、乃令小墾田采女、賜酒于玉田宿祢。爰采女分明瞻衣中有鎧。而具奏于天皇。々々設兵将殺。玉田宿祢、乃密逃出而匿家。天皇更発卒、囲玉田家、而捕之乃誅。
出典 [古代・中世] 地震・噴火史料データベース
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