御近領之景況
一脇之(わきの)町 ○潰家八十六軒 ○半潰四百軒余 ○死人五人 ○怪我四五人
一与板 ○寺社大破十ケ所 ○潰家二百六十七軒内八十軒焼失、四ケ所ヨ、リ出火、○半潰八十六軒 ○大破三百軒 ○死人三十四人 ○怪我人二百八十人
一中之島 ○潰家百九十軒 ○半潰二十軒 ○死人三十人 ○怪我人不知
一今町(いままち)○潰家三百軒内百五六軒焼失 ○半潰十三軒 ○死人六十人
一三条 ○潰家千六百軒内四百軒焼失、五ケ所より出火□、□二三町少々残、○半潰三十軒 ○死人三百八十五人 ○怪我人三百五十人
一加茂 ○潰家十七軒 ○怪我人十人
一大面(おおも)○潰家七軒 ○半潰十一軒死人六人 ○怪我人三人
一見附 ○潰家五百軒内二百五十軒焼失、五ヶ所よ、り出火、○半潰三十一軒 ○死人百十八人 ○怪我人六十人
此地震ハ朝五ツ時分にて北之方より揺来る、場所に寄強弱あれども、三条辺より今町・見附辺最も強く潰家死人夥し、当年十一月十五日冬至入り之処季候八月頃の如し、一両日以前より別而暖気にて十二日朝一天朦朧たり、地震の時ハ息気煙の如く立昇る、此日昼夜にて地震四十度程、翌十三日も十八九度、其後も折々地震有之長岡辺にても地破れ青土吹出す、(註)翌春中島辺へ野遊びニ行きしに幅二三尺長サ数丈地破裂せし場所所々にあるを見たり何れも小屋を補ひ当分住居す、十二月朔日小寒入雪降りて寒気となり季候定る
(註)因云弘化四未年三月廿四日夜亥刻□□□