享和地震
享和二年十一月十五日(一八〇二)(午の下り大震朝の十倍)朝辰の刻地震の節御番所御役家御船手長屋其外町家震潰御船道具小屋大破神職居宅も震潰此節道具小屋二軒共居宅へ居宅は小屋地へ敷地引替致す
其節本社及拝殿も大破致し上納金置けず文化二巳年六月(一八〇五)迄下の御番所に差置たり
一説に此地震に付祭神木野浦浅ケ谷家へ一時引移りたりといふ神輿にて登りしと其際神饌を供へし木椀は現存し宝物とす
この節人沖浜町及当社下方の海岸の一部は隆起して陸地と変ぜしと云
小屋掛料として三千貫文貸付五ケ年賦
亥子両年両〓費 壱万六千貫文
潰家 四四 破損 二〇
焼失 二〇三 死人 一九