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項目 内容
ID H00010111
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 1751年越後高田地震(寛延四年四月二十六日)
書名 (問屋日記)
本文
高田にてハ町家大方揺り潰し、其上二三ケ処より火事起り焼け申候由、御城内も余程家潰れ、御城にても高塀倒れ石垣崩れ申候由。今町は不残家潰れ地も余程裂け砂(、、、、、)泥おし出し(、、、、、)候由。加賀道筋有間川と申す宿は、山押出し不残其所無御座候由、往来の飛脚物語被成候、殊更人馬は不残死し、かたちも無御座候由、此節飯山牟礼之辺も家屋余程潰れ、少々人死も有之候由、高田にては(、、、、、)家五千軒程潰れ(、、、、、、、)、亭主之死するもの八百人、其外子供家来の死人委しく相知れ不申候由
出典 ひずみ集中帯プロジェクト【古地震・津波等の史資料データベース】
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