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項目 内容
ID S00001821
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1801/05/27
和暦 享和元年四月十五日
綱文 一八〇一年上総久留里地震(享和元年四月十四日)
書名 〔享和雑記 巻一〕
本文
七 雲低く行事
一、地震は陽、陰の下に伏して陰に迫らるゝ故に升る事不能地震ふ也、然共その動止一所にして遠に至らず、地中に穴あり、蜂の巣の如くにして水潜り陽気常に出入す、其陰陽相和し宜を得る時は常とす、若し陽渋滞して出る事を得す歳月を積時は地脹れ水縮る故に井の水洞(あふ)れ、時気暖なるは地震の兆と知るべし、酉四月上旬より地震する事度々也、それが中に十月の夕七時頃と、十五日暁の震は余程強くして長し、其外少ツヽの事は日々両三度ツヽも地震する日多し、上総の久留里は十四日地震強く、城内櫓塀多く破損し、民家潰れたる者多し、近頃に無き大地震なりといふ、然るに去る五日の夕七ツ過、巽の方より雲細く起りて、此日南風故、艮の方へたな引有さま雲低くして、さながら火事の煙の如し、引続て絶間なかりし、同十七日にも亦雲低く続て、本所辺は一面押来り、尺寸の間も見へわかず、家々雲に包たりしを、江戸にては火事也と見て、其役の人々は、乗出して東西へ行違たるも多し、すべて雲低く行は地震の兆也と専ら人々申也、其説実也や可考、頃日相知れる人の住所求て本所へ移れば、
屋敷替切坪の名のゆかりにて雲の上なる住居するかな
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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