(寛文十年六月十七日)
一、榊原熊之助領内、六月五日午刻地震、民家百軒余潰レ、植田弐百余町無田被成候由
(後略)
○注、本史料の地震は関東周辺の地震ではないが、以前は相模地震と理解されていた地震のため、ここに掲げた。石橋克彦は、本史料の「榊原熊之助」は越後村上藩主榊原政倫のことであり、「領内」とは越後村上藩領のことで、この地震は越後で起こった地震であり、相模地震ではないことを明らかにしている(石橋克彦「一六七○(寛文一○)年の幻の相模地震について」『地震』二輯五○巻、一九九七)。さらに、震源域については新潟県の新津丘陵から笹神丘陵であった可能性を指摘している(石橋克彦「一六七○年寛文越後地震の震源域」『歴史地震』二六号、二○一一年)。