万之覚
一、正保四丁亥年五月十四日のほの/\あけに、大地しんゆり候、此時、とうえい山の土大仏のくび計ゆりおとし候、此時の風聞に、小田原の大地しんと同事と申候、但、丑ノ六月廿日の地しん〓ハ、江戸にてハおとり候と存候、大仏のくびおち候、落候右に、王地与楽寺へ夜うちぬすみ入候、此大仏のくびおちたる時、らく書に云、しやか様や、みくしハ下へ、ねはんそう、是そまことの、地しんしやうふつ、と有
(後略)
注、本史料は川越城大手前の本町名主をつとめた榎本家四代・榎本弥左衛門忠重が書き残した覚書(三冊のうち一冊)。