小名浜町
(中略)
(大海嘯)
延宝五年丁巳十月九日の夜五つ時、大津波打寄りて小名浜・神白・永崎にては無残にも男女八十人余押流され、又其の以後元禄九年子の六月二十七日昼八ツ時より、大波抻寄せ、剰さへ嵐強く、四ツ迄浜々廻船破壊して、船人浦々にて都合二千四百五十余人相果て、同く七日まで海中より死骸を取上げ、塚を築く、是を霊人塚といふ。今に四ツ倉・小名浜にありと。(古説)
                
            西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
| 項目 | 内容 | 
|---|---|
| ID | S00000227 | 
| 西暦(綱文) (グレゴリオ暦)  | 
            1677/11/04 | 
| 和暦 | 延宝五年十月九日 | 
| 綱文 | 一六七七年延宝房総沖地震(延宝五年十月九日) | 
| 書名 | 〔小名浜町 大海嘯〕 | 
| 本文 | 
                 
                    小名浜町 
            (中略) (大海嘯) 延宝五年丁巳十月九日の夜五つ時、大津波打寄りて小名浜・神白・永崎にては無残にも男女八十人余押流され、又其の以後元禄九年子の六月二十七日昼八ツ時より、大波抻寄せ、剰さへ嵐強く、四ツ迄浜々廻船破壊して、船人浦々にて都合二千四百五十余人相果て、同く七日まで海中より死骸を取上げ、塚を築く、是を霊人塚といふ。今に四ツ倉・小名浜にありと。(古説)  | 
        
| 出典 | 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】 | 
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