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項目 内容
ID S00000025
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1782/08/23
和暦 天明二年七月十五日
綱文 一七八二年天明小田原地震(天明二年七月十四日)
書名 〔後見草 下〕
本文
其年も暮明る二年の春より、海上の波あらく、何かしの浦、何かしの沖船とも数多破れし事何百艘とも知れさるよし。
(中略)又関の東も日々に日和あしく、空曇り、暑さ強く、日毎に蒸か如くにて、文月の初より小き地震二、三度つゝふるはぬ日は無りし也、扠同し月十四日の子の刻頃、とろ/\と鳴出し、物音強くゆり立たり、人々寝入たる頃なれは、驚き騒く事少なからす、又明十五日は殊に空打曇り、残る暑もわきて強く、諸人日の暮を待兼て、涼みかてらに端居して居たる頃、又俄に震出し、踏足も留り兼、壁を振ひ、瓦を落し、戸障子、なんとを打倒し、大地ゆさ/\動揺して、古くあやしき家共は見る間に倒すも多かりき、翌朝見渡せは、庭の面は氷の如く開き裂、其中にも小日向の江戸川岸三尺計りも震り開けり、程経て後に聞ぬれは、相模国小田原は城の櫓を初として、商人・農人の家職より神社・仏閣に至る迄、直に立けるハ無りし由、八十年前未の年の大地震と聞へしは、殊に勝れ侍りしか、其より後にはかく甚敷は更に覚へ侍らすと、百年近き老翁の昔を引て語られたり、
(後略)
出典 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト【史資料データベース】
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