其年も暮明る二年の春より、海上の波あらく、何かしの浦、何かしの沖船とも数多破れし事何百艘とも知れさるよし。
(中略)又関の東も日々に日和あしく、空曇り、暑さ強く、日毎に蒸か如くにて、文月の初より小き地震二、三度つゝふるはぬ日は無りし也、扠同し月十四日の子の刻頃、とろ/\と鳴出し、物音強くゆり立たり、人々寝入たる頃なれは、驚き騒く事少なからす、又明十五日は殊に空打曇り、残る暑もわきて強く、諸人日の暮を待兼て、涼みかてらに端居して居たる頃、又俄に震出し、踏足も留り兼、壁を振ひ、瓦を落し、戸障子、なんとを打倒し、大地ゆさ/\動揺して、古くあやしき家共は見る間に倒すも多かりき、翌朝見渡せは、庭の面は氷の如く開き裂、其中にも小日向の江戸川岸三尺計りも震り開けり、程経て後に聞ぬれは、相模国小田原は城の櫓を初として、商人・農人の家職より神社・仏閣に至る迄、直に立けるハ無りし由、八十年前未の年の大地震と聞へしは、殊に勝れ侍りしか、其より後にはかく甚敷は更に覚へ侍らすと、百年近き老翁の昔を引て語られたり、
(後略)