[未校訂](注、これは武者三巻一八九頁に掲出されているが、文言の
差異が目立つので再掲する)
Ⅲ大淵幾松手控
一二五 乾坤相克記 文政末
(表書)
乾坤相克記
(本文)
(一) 男鹿地震之事
抑頃は文化七庚午八月夜四ツ時大地震ゆり来り、夫より
雲は千蓋浪のことく不浮動して風吹ず忽ち絶え時刻順風な
らす、地震は時々刻々昼夜不怠ゆるなり、土の底神鳴の
如ク鳴り、人々心も心ならす、然処廿二日昼四ツ時大地
震ゆり来り、所々に家も痛み地形も割れ其日より翌朝迄
不怠、地震斯くなる事に逢もいかなる事と覚束なくも光
村名
舟越
天王
払戸
鵜木
本内
角間﨑
福川
福米沢
野石
松木沢
脇本
飯森
飯
大倉
樽沢
二井山
浦田
百川
比治
中石
鮪川
石神
箱井
琴川
谷地中
舟川
金川
瀧川
徳間口
中間口
町田
御拝領分
調銭
米
調銭
貫
1221
531
352
286
107
189
135
358
525
121
1047
110
34
268
223
43
353
289
355
482
97
199
131
70
121
46
70
83
68
17
14
8000
文
320
230
990
410
335
510
910
440
460
480
520
610
870
670
800
015
265
105
150
355
625
220
770
030
045
465
175
045
175
015
435
205
米□升
石
194.366
82.500
68.79
28.17
55.77
38.79
78.18
178.193
216.58
227.28
22.20
6.48
56.64
55.53
24.874
73.23
58.35
77.66
112.984
29.126
48.27
30.222
20.412
28.05
18.412
18.930
1□.954
22.546
11.145
4.182
2000.―
潰
軒
151
24
23
6
12
16
30
47
9
159
18
5
39
29
7
54
43
45
59
8
25
15
8
17
1
4
5
7
2
917
5634貫
1235石人
695
230
243
101
39
95
122
200
40
692
74
18
169
141
27
236
163
175
224
35
115
56
44
80
7
19
18
38
7
4114
565文
100
半潰
軒
60
14
35
17
15
22
42
10
14
17
1
7
11
1
2
6
11
17
6
11
8
4
4
3
11
9
4
1
392
1624貫
456石
人
244
50
137
71
67
101
154
71
114
74
4
22
40
3
9
35
4□
60
21
51
36
19
15
15
40
45
31
13
1689
840文
030
痛
軒
1
91
18
14
33
11
3
2
13
7
7
6
1
314
673貫
308石
人
6
420
69
56
□
53
16
9
53
32
12
33
9
1315
530文
970
焼失
軒
1
1
6
48貫
870文
□はノド読めず。計算の合わない所あり、すべて原文書のまゝ
分類
A
B
銭米銭米潰
6貫145文/軒
1升/(日人)30日
分
同上
同上
半潰
4貫145文/軒
1升/(日人)30日
分
同上
9合/(人日)30日
分
痛
2貫145文/軒
7合7勺1才/(人
日)30日分
同上
同上
焼失
8貫145文
舟越村
その他の村
陰を送けり、廿三日夜唯た真闇に対坐、一面に地方に火
玉ハ伝ひ歩行て見得けり、其より赤神山寒風山両山に当
って、常に見覚なき大星ノ光リ輝甚シ、昼は遠も近く見
ゆる、草木の花も月[影|かけ]のよふに見え、扨廿六日の夜五ツ
時より四ツ時迄テ、赤神山におえて幾千万といふ光物万
燈の如く、光明赫々輝きける、見る人何事やらんと恐れ
入てこそ[扒|ママ]覧す、然るに廿七日旭の曇り松明の燃る如く
なり、是如何成仔細と思慮せし処、昼の八ツ半頃南風頻
りに吹き来り、怪ミ居る処大地震ゆり来り、此時耳も不
聞眼も闇らみ水火煙漂の[苦|クル]しみにことならす、其日北磯
の者共鳴る音に[動転|ドウテン]して、海の沖ヲ見るに海上に火玉は
飛か[如|コトク]、男鹿谷地中村海の沖中に三ツに割れ砕け消え散
り、其時に谷地中村田面の稲苅共谷地中村を見るに、煤
煙り天を焦し霞て家は見得す、是は必定津波なるへしと
狼狽周章の処え、忽ち田の中誠に荒たる海の浪の立こと
く、地形は高クナリ[低|ヒキク]なり、其時家々の下になりて皆死
ぬるならば、幾千万人と算かたし、不思議や家の桁梁の
間になり、其時家はあらあら潰れ処々山崩れ割れ、木々
転ヒ狐多く死す、三四年か間さっはり見得す、狼杯も見
えたるなり、然共時刻能少々飯たき前なり、夜なかば壱
人も助るまし、依而火事はなし、[纔|ワヅカ]に舟越村に四軒浦口ママ村
壱軒、松木沢三十郎と申者姉其節二三日以前、産へやに
居に母子共ニ焼死す、都合六軒なり、其節家々に而居候は
留主居老童の類なり、作は万豊作作なり、苅取りの時故田畑
え出居其難大抵[逃|ぬか]れ、時移れとも其動事荒たる海の波ノ
立か如ク、東西南北地形とんとんと西方八方鳴なり、風
なく其暑き事湯の[息|えき]の立か如く地より煙り立けり、日ハ
[朧明り|オボロアカリ](○の)如くなり、既に日も暮れかかる、隣家寄
り集り菌(○堆肥)の上に泣騒く、其中に戸を敷又は長
木を敷、梯を敷様々無量慣人々有り、しかし菌の上には
必す長く居る事忽ママレ(○忽レ)、一二夜居ても注意せん、
[種|シフ]物(○腫物)種々の瘡病出来能々心得へし、偖又度々
[汰|ユル]、地震ハ夜る戸をたてす、迯道を拵置へし、又仮家を
早く造り置へし、第一に火を慎へし、地震に曰く鳴てゆ
る地震は必す大変有るなりと云し、其時男鹿ハ三ケ二通
りゆり崩れ、其処に曰ク脇本村・船越村・大倉村其より
中石村寄郷・宮沢村迄格別大痛、夫より相川村より奥大
なる家の痛なし、南磯船川村半通り川より向え其より奥
家の痛なし、下筋鵜川村夫分浅内寄郷、夫より奥ハ大な
る痛なし、上ハ天王村ゟ奥ハ家の痛なし、然共類なき大
地震との評判なり、其時男鹿中怪我人即死六拾四人其外
追死る物其数多し、残り[怪我|ケガ]痛底敷のもの共不数知なり、
誠に無常の歎き哀と云ふも[疎|オロカ]なり、然に廿七日夜唯忙然
と表に立たり居たり生たる心地なかりけり、漸々東雲鳥
の渡り来る、人々の発て○タチ勇て其所此所え立廻る処ニ、誰言
となく今其所え津波来ると評判乱迷す、嗚呼南無三宝今
ハ絶命か、かかる大事に逢迚も蜉蝣の一時命は惜まるる
もの也、夫分逃るへしと、我先と前後左右のわからなく、
其所此所の山野に馳せ登り、老の手を引稚きものを負行
有様、誠に[肝|キモ]魂も消うせ弥動なり、先山の上にて見渡せ
ば海の面穏にて、浪変は見得さる也、彼ノ山に仮屋を造
り両三日居たりけり、其評判は如何なる事の子細にや、
男鹿にも限らすに能代八森辺迄も如此之事と後には聞得
けり、然に廿八日夜半斗りになりけれハ、車軸の雨に大
風頻に吹き、雷電稲妻夥し、地震ハ止す、居り合人々手
に手を組合、唯泣より外はなかりけり、其夜を空く明シ
けり、明れハ廿九日荒たる空も和らきて、皆衆寄り集り
溜息を突、扨又余処の風聞は此辺斗り大変と、今にかえ
るもしらぬ地震なり、命有ってハ物種、有無の習は世の
中なり、何を惜むにあらすといふ、其時居合者共一決同
意して、五里も七里も先々え行き助らんといふ時に老人
共ハ、夫は希ふ処なれ共今年は覚まれなる万作なり、今
苅妻の作物を捨て行も本意にあらず、我朝は勿躰なくも
神国なり、
鹿嶋の御詫宣(○託宣)に曰ク、震くともよもや祓すの
♠石、鹿嶋の神のあらんかきりは、と誓も深き御神の御
詫(○託)ノ宜(○宣)なり、御代万世中々以て変る杯
とは蔓(杯かりそめカ)にもあらすといふ、夫れに復(○
服)せぬものは壱人もなかりけり、夫ゟ我屋敷え帰りけ
れ共飢に疲(○つかれカ)をいかん共、可致様無是処江
御公儀様ゟ為御助米、壱人ニ付弐升五合、潰レ処被卸置潰
れ村数三拾三ケ村否や配分す、
間もなく小泉村喜兵衛殿白米三百俵尤三斗入也、被下置
候、誠ニ歎きの中の歓ひ無縁万□の利益に預り難有之蔓
の心地して空く月日を送りけり、然に見廻役急御𢮦使御
代官御奉行皆々様方急々潰村々御廻在被遊候而、否や御
助として銭八千貫御米弐千石被卸置候、其外縄藁等迄村
送を以て御届被下置候得は急に配分致候、いかにも何を
以一家を相続可致様無之処え、誠に御憐愍之程言語ニ絶
す、難有事共也、
然に諸事の御役人様方船越村ニ一ケ月程居候而、種々の
願筋を早速御取受ケ訳ケ被下、其砌御殿医神保荷月様潰
れ村々直々御廻在被遊候而、怪我痛疵処の者共御覧被下、
種々の御薬被下置候得者、疵を負たる者共忽ち本服被致
候、其砌尾形様御江戸御詰之由、其一許早以飛脚御訴仕
候得者、尾形様哀至極御之威有りて御手の内分朝鮮人参、
上々之熊之膽御直渡し被遊之由、夫ゟ早々御国本え下着
シ潰れ村々え被卸置候得者、持病の者共忽ち元気を増齢
盛り誠に尊ふさ身に余り、既ニ九月も程なく暮れにけり、
十月二日大変の砌失命もの共の改ママ名御取上、本葬営の御
価被卸置候得者余勢無之物共相応に本葬営ミけり、寒風
山大倉山梨木台といふ処エ石塔を建て、亡命の者共〆追
善御供養菩提を弔ひ、名僧多以被卸置御回向御授ケ候得
者、十月二日の朝五ツ時八方より魂魄寒風山え飛集りけ
り、誠に言語にも絶え難有事共也、闇間を忽ち去て成仏
無齢夫ゟ地震も月日増に穏かならしむ、され共明る未年
四月中頃迄時々ゆり動なり、夫か地震もよらさる也、然
に湖水八郎潟の[岸瀬|キシセ]上り平地となる、六七町斗り也、直
に能き御田地と成る、然に湖水海の水入る事大地震の砌
より十四五日斗りの間、大河になりて入る事也、され共
潟の水は[満事|ミツル]もなし、男鹿は浮き上りて何処えか流れ行
へきかとあんしけれ共、さして不思議もなかりけり、扨
其年の秋は蝿えママ一円に不出也、地震後者少々出る也、其
年の夏より潟の[鰡|ボラ]筏ニなりて死ス、流れ寄其年の秋地震
前浜の鰯網青[海月|クラゲ]壱袋弐袋も詰る、其前年寒中氷強く相
川村北浦村の間の浜え十間斗り岸より氷張る、但し竹林
の竹も大半枯れ樹木も枯れ鍋釜も割れし斗り也、其後海
月の沢山有年ハ大地震ゆるとのいひ伝也、誠に大地震[汰|ゆ]
る事の不思議やら、神授の御告も有之也、依て今古ママ其例
有も(○の・補)なり、其例能々考へ目出度年月を送る
へし其節仙北大曲村小西伝助様ゟ味噌被下、潰所村々え
配分受候得共何程の貫目被下候哉、相分不申候得共先此
処相印也、