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項目 内容
ID J3000828
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔広陵町史史料編下巻〕○奈良県広陵町史編集委員会編H13・3・31 広陵町発行
本文
[未校訂]文政八年(一八二五)~安政五年(一八五八)
常念寺記録 (広瀬・常念寺所蔵文書)
(中略)
(嘉永七年・一八五四)六月十四日夜八ツ時大地震、同十五日朝五ツ時同当寺
塀倒ル、南都三百余人、郡山百五十余人、□(汚損)外人数不
知、古市七十余人、其外在町死人多シ、ケカ人数多也、
在々町々不残大損シ、其外伊賀・伊勢・近江・美濃・
越前等格別水火ニテ大損シ、五畿内大小ハ有之候得共
大地震有之候筆紙難記混雑大変、大小人共失色閏七月
八九月ニ至テ大小ハ有共不止化岩也
○京都京都町触研究会編一九八七・三・二七 岩波書店発行
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 555
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 広陵【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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