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項目 内容
ID J3000432
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1792/05/21
和暦 寛政四年四月一日
綱文 寛政四年四月一日(一七九二・五・二一)〔島原・肥後〕
書名 〔諌早日記〕○長崎県諌早市諫早市立図書館蔵、諌早家文書534
本文
[未校訂]十二月二日 晴天今夜五時也地震甚強
十二月三日 曇 今朝少々地震夜雨
十二月五日 晴天今夜中少々地震有り
十二月六日 雨天土用入今朝五時比地震有り
十二月七日 曇昼後晴
一御私領唐比村と嶋原領愛津村と之堺傍示石当春以来之
地震ニ而相傾候ニ付向方鈎(カ)合之上立直ニ相成筈ニ付其段
先達御役方江相達置候然処近日双方立會之上立直相済
候段当役方ゟ申来候付達御耳之上請役所江相達候書付
左ニ
口達
先達而御達仕置候嶋原御領愛津村と此方私領唐比村
御堺之傍示石地震ニ而相傾候を立直之儀向方示合之
末双方役人立會ニ而元々之通無□立直相整候段今般
在所ゟ申越候此段御達仕候以上
子十二月七日御名家来早田惣右衛門
村山寛三郎殿
田中半右衛門殿
伊東四郎兵衛殿
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 335
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長崎
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