[未校訂](永代記録帳)小阪区有文書
一六月十四日夜大地震ニ而潰家多く出来諸方大荒、漸々八
月中頃ニ相止豊(ママ)ニ相成申候処、尚又九月十七日浪花浦へ
ヲロシヤ船来ル、是又近国諸大名数多人足被召連大坂
境辺へ陣ス、同月廿八日頃ニ帰船ス、又候十一月四日、
五日大地震潰家并損セス家ハ一軒も無りけり、此日海辺
ハ大津波ニ而夥しく人損し有之候、夫より度々震節分ハ
十二月十七日此日迄震り申候、十一月五日暮方ニ大地
震之跡ニ継キ申之方ニ而どふ〳〵と大音鳴り響キ此音
ニ而世人肝ヲツブス、評儀区々ニ而何音とも尓今相分り
不申候、誠ニ〳〵荒々しるし置もの也、
十二月十八日
十一月四日、五日大地震之砌ニ引申候、
(文政七カ年万歳帳月 日)蔵堂・山口薫家文書
大地しん之ひかえ
十一月四日朝四ツ時ニ大じしん二三度ゆる、又五日昼七
ツ半時大ゆるなり、此時寺之門こけ又治右衛門殿西方ニ
新宅こけ、寺之本堂かわらをろし、大晦日中ゆり年号替
り安政二卯正月三日、五日中ゆり、夫よりして昼夜ニ六七
度もゆり
二月十日中ゆり有之、同廿日少中ゆり、三月朔日同断、
二日、三日同五日大ゆり又少、十一日二度、又十七日夜
四ツ時ニ大ゆり、四月、五月、六月、七月者月ニ五六度つゝ
少しゆる、八月ニ大ゆり壱度有、九月廿一日夕暮六ツ時ニ
大ゆり有、少シつゝ、八月ニ六七度つゝ有、十月朔日又有
辰正月迄少しつゝ
〃二月ニハ永やみ申候、
又森屋明神之石之鳥井、木之鳥井、石之燈ろみな〳〵こ
け、此時村中門ニこやかけいたし見□(な、カ)こやニ而ねる也、
一うみ大つなみ也、
十一月昼七ツ半時大じしん之時未申之方ニ而七八度大
きやなりをといたし、此をとニ而大ニびくりいたし人々
見度々生ニ而かい無之心もち也、
□□きけば大津なみ大坂ハゑべす橋迄水やつく