[未校訂]○十月十日朝五ツ半頃、江戸より急ぎの早追ひ帰る、当
月二日夜亥の刻前、江戸大地震にて大騒動中所々出火、
御丸の内四ケ所火口立ち燃へ上り、町中数ケ所火口立ち
過半焼失のよし、当御屋敷は少々の損じばかりにて御火
難なし、尤も御奥詰沢井内外・御歩行目附遠藤平八・支
配足軽深川文太郎・御小人三人、地震にて即死のよし、
ほか御屋敷町中は怪我人死人数を知らず、尤も三日朝火
事中出立の早打ゆへ、いづ方へも書状来たらず、委しく
は知らず。
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項目 | 内容 |
---|---|
ID | J2801010 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1855/11/11 |
和暦 | 安政二年十月二日 |
綱文 | 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及周辺〕 |
書名 | 〔耳の垢〕進藤寿伯稿「近世風聞 耳の垢」S47・9・10 青蛙房発行 |
本文 |
[未校訂]○十月十日朝五ツ半頃、江戸より急ぎの早追ひ帰る、当
月二日夜亥の刻前、江戸大地震にて大騒動中所々出火、 御丸の内四ケ所火口立ち燃へ上り、町中数ケ所火口立ち 過半焼失のよし、当御屋敷は少々の損じばかりにて御火 難なし、尤も御奥詰沢井内外・御歩行目附遠藤平八・支 配足軽深川文太郎・御小人三人、地震にて即死のよし、 ほか御屋敷町中は怪我人死人数を知らず、尤も三日朝火 事中出立の早打ゆへ、いづ方へも書状来たらず、委しく は知らず。 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 二 |
ページ | 479 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
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