[未校訂] 伊東市宇佐美の行蓮寺津浪供養塔(第4章第3節参照)
に寛永十年の津波の記事が出て来る。それによると「伝
聞寛永十癸酉正月十九日大地震之時、河井水乾、海面潮
退五、六町、魚在沙上数多也。荘父走取之、帰陸後潮漸
来、民屋漂破溺死者二、三人」とある。すなわち、津波
は最初潮の引きで始まり、約六〇〇メートルほど水際が
後退して、多数の魚が砂の上に置き去られていた。これ
を取りに行った人が戻った頃ようやく潮が満ちてきて、
家屋が流失し、宇佐美の二、三人が津波に溺れて死んだ
というのである。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J2800054 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1633/03/01 |
和暦 | 寛永十年一月二十一日 |
綱文 | 寛永十年正月二十一日(一六三三・三・一)〔相模・伊豆〕 |
書名 | 〔静岡県史 別編2 自然災害誌〕H8・3・25静岡県編・発行 |
本文 |
[未校訂] 伊東市宇佐美の行蓮寺津浪供養塔(第4章第3節参照)
に寛永十年の津波の記事が出て来る。それによると「伝 聞寛永十癸酉正月十九日大地震之時、河井水乾、海面潮 退五、六町、魚在沙上数多也。荘父走取之、帰陸後潮漸 来、民屋漂破溺死者二、三人」とある。すなわち、津波 は最初潮の引きで始まり、約六〇〇メートルほど水際が 後退して、多数の魚が砂の上に置き去られていた。これ を取りに行った人が戻った頃ようやく潮が満ちてきて、 家屋が流失し、宇佐美の二、三人が津波に溺れて死んだ というのである。 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 二 |
ページ | 55 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 |
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