[未校訂]一、閏月十日夜八ツ時比近比之甚敷地震ニ有之候事乍併
門口へ地震戸ゟ抜出候処相止ミ申候、余程長き方ニ有之
候、其夜ハ一向冷気ニ有之候、全不順之事等申居候事也
一、閏五月十五日ゟ東林町角西側普請地震ニ而ゆかみ有
之ヲおこし繕、三軒程門口有之ヲ一軒之通しニ壁ヲ抜ゆ
か取払、細高入処ニいたし、其跡ハ借家ニいたし候積ニ
作事出来申候、尤六月中旬迄ニ大半ニ出来、下旬ニ至皆
出来立候、余程大造作ニ相成候事、ゆか土之上へ井戸ゟ
堀上ケ申候清土少〻入申候、然ル処閏月十七日別井村嘉
兵衛手伝遣置候処、弐坪斗之壁落気絶いたし、直様驚、
布佐之内へ連行、気付抔相用実症ニ相成申候所、銅骨折
内へ連越見受候処、打身ニ付いろいろ医師抔呼ニ遣、申
談之上難波へ遣不申ハ早〻全快致兼候様存心配いたし候
処、永田春斉并ニ三浦一之助男△石庄五郎寺△田村之骨継△
印之骨医両人共左程ニ不申故永田春斉之療治致貰候事ニ
相極メ、同人骨折申候所追〻快方いたし候、六月二日別
井村へ帰在いたし候、不存寄事ニ而心配いたし候得共意
外之怪我致、大ニ厚配いたし候、親類之もの介抱ニ呼寄
世話為致申候、役年之由全夫故之事歟と存候、乍併無事
ニ修覆出来相歓申候事ニ候、凡右作事入用
右之通荒〻記之候事