[未校訂]○信州善光寺大地震之事
未三月廿四日亥上刻ゟ二時計大地震ニて天動す。抑々信
州善光寺如来当年三月三日ゟ御開帳ニ付、諸方へ立札多
く立るニ一々こけしなり。又次々出すにいつくともなく
きへしなり。是ふしきなる所、只今ニいたって此通りの
事なり。如来之せい願ニかなわさりし也。
抑々善光寺本堂・山門・大勧進所ハ、ふしきなるかやそ
んじ給ハず、其外経堂・廻ろう・惣門・坊舎ゆりくづし、
出火もゑ出し不残焼失たり。其外町家・旅宿不残焼失、
大そうとうなり。事ニ御開帳なるゆへ諸国近在ゟ寄集り、
宿々ニハ三百・五百之人々とまり居候所、如斯大地しん
ニて家くづれ大地さけしなり。其上火ゑんもゑ上り候ゆ
へ上を下江と大そうとう、家ニ引て死も有、焼死も有、
あはれなるがみなころしなり。此外上田城下宿町方家こ
と〴〵くゆがみ大そんじ、それゟ岩鼻と申所岩石往来へ
ころび、落石わき道ニねづみ宿と申所家十五軒つぶれ、
清水・中条家三けんつぶれ、別所温泉くづれ止りぬくみ
無之、又榊ノ宿・戸倉宿・矢代宿家数多くくづれ、尤大
地さけ深サはかりかたく、泥砂吹出す事おびたゞしく、
篠追分・丹波嶋・稲荷山・川中嶋等石ゆりこぼち、いな
り山などの旅宿惣不残くだけし上、出火ニて不残焼失た
り。此外松代城下紺屋町・馬喰町・木町残らす家々大ニ
そんじ、往来筋分りかたく相成、けが人等おびたヾしく
牛馬数多くそんじ、猶又丹波嶋川水さっぱりと無之やう
相成。同所川上の山中美濃路ばしと申上之手にて、両岸
より山を出し川水せきとめ、にわかに洪水と相成、山中
の人家三十ケ村余なかれ、人大キにそんじ、松代領一面
之白海となり、此水落口これなく候ニ付、又々丹波嶋川
すし干川と相成、何時出水もはかりかたく、上田辺より
中野善光寺・松本のあたり、みな〳〵居宅ニ住事をあん
じ、山林又ハわき外の田畑等へ野宿致候由。尤右丹波嶋
川筋の人家ハ何時出水もはかりかたく、みな〳〵其心得
有也。是ニよって諸方へのきこゑ大かたならす、大そう
とうなり。善光寺坊五十ケ所、町家弐千計、人数七、八
千と云へり。其外いなり山・丹波嶋・追分川上の村々人々
幾千人と云をしらず、大坂ゟ参詣人計も百人計ハ有しな
り。十日・廿日をすきて追々むかいに行も有、死人ニて
戻るも有、こ(骨)つにて戻も有、一向しれざりし者も有、い
ろ〳〵有なり。此地震大坂ニてハ初夜しぶんニ少々ニし
て長くゆりしなり。中々きくもおそろしき事ともなり。