[未校訂](巻四十六)
[四] 奥の[象潟|キサカタ]は世に聞ゆる景勝にして、天下の三名所
と呼ばれし程の地なり。予若年の頃、同班なる六郷侯〔羽
州由利郡本庄城主〕と懇なりしが、或日彼邸を訪て西東
諸方の談話の中に、侯、象潟は我が領する所とて一双の
屛風を出し示されしに、彼地の勝景悉く画図に見へたり。
又傍臣の曰。其地の嶋々小大ありと雖ども、大なるは広
さ一町或は其余、小なるは十間或は其半ばなり。其嶋々
の間、海底総て沙上にして潮水の盈去あり。満汐のとき
と雖ども、人其中を歩するに潮その脛をこえず。故ゆゑ
に海中嶋上遊覧の男女殊に多しと。予因て其図を視るに、
彼地の景勝実にかの語言にまさるべし。且その後は鳥海
山高く聳へ、上下の賞望想を及ぼすべし。又『観跡聞老
志』に云。出羽国[蚶潟|キサカタ]〔哥枕或作象潟〕(蚶ハ、『爾雅ノ』
釈魚ニ、魁陸。『本草』ニ云。魁ノ状如ニシテ海蛤、円カニシテ而厚
シ。外ニ有テ理縦横ス。即今之蚶也―欄外注記)、如今在リ由
理ノ郡ニ。此地蓋古之山北也。在リ鳥海山ノ西北。有リ寺
曰フ皇宮山蚶満種寺。経テ酒田〔在游佐郡〕女鹿塩越
ノ地、而過牟夜牟夜ノ関山ヲ至ル于茲ノ地ニ。多景衆美、
天下之絶景ナリ。就中鷗島松島弁才天嶋等尤モ勝地ナリ。
凡有九十九嶋八十八潟。春来白桜涵シ花影ヲ青松落
翠陰、佳興殊甚シ。鳥海山截然トシテ聳ヘ東南ニ、西方ハ
向フ大洋。其好景与東溟ノ松島相表裏ス焉。
出羽の国にまかりて蚶潟といふ所にて読侍ける
能因法師
世の中はかくても経けりきさ潟の
海士の苫やを我宿にして
西行法師
きさがたのさくらは浪に埋もれて
花のうへこぐ蜑の釣舟
この後聞けば、鳥海山鳴動して自から火を発し、砂降り
泥涌出、象潟の山水皆これが為に[瘞|うづも]れ、潮水も変じて
桑田となる有様なりしと。近頃又一説を聞く。象潟の荒
し始めは後山の鳴動すること数日なりしを、彼地の市街
にても何ごととも弁へず[徒|タヾ]あきれてのみゐたるに、夜半
過ぐる頃[地震|ヂフルフ]こと度々、世の常の地震とは異に、踊る
が若く[沸|ワク]が若く、上下へ震ひけるが、頓て後山より泥砂
を押出したり。この地動十四日を経れば、里人も過半は
他所に逃れて死亡の者は七十余人に過ざりしと。是より
鎮り泥砂も収りたるに、彼絶景の山海は一面の荒野とな
り、其中に一条の水流を現はせり。其水海浜なれどもい
かにも清冽甘味にして、天造の新墾田三万石ばかり出来
ぬ。迺この流川を幸として用水に当ると云。因て官稟は
其実を尽さずと。又此新田、この後開墾せば、又三万石
も増すべきかとぞ。かゝる天下の名勝絶景の地、永く泯
滅せしは長嗟するに余りあれど、其領主の国益となり、
其人民の為にはいかなる幸ぞや。このことは或人其領邑
の人に親しく所聞也。