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項目 内容
ID J2600796
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1802/12/09
和暦 享和二年十一月十五日
綱文 享和二年十一月十五日(一八〇二・一二・九)〔佐渡・越後〕
書名 〔日本随筆大成 第Ⅱ期18〕日本随筆大成編輯部S49・10・10 吉川弘文館
本文
[未校訂](北国巡杖記)鳥翠台北巠著
文化四年新彫
○享和三年の地震
同国羽茂郡、小木の湊は、此国第一の大湊にして、船客
遊君四時の繁華、依稀する岐もなかりける。しかるに享
和(ママ)三年癸亥十一月十五日の事なりしが。降しきる雪に、
人みな衣をかさね頤の鬚をそらして居けるに、沖のかた
より、荐に地震鳴動して、淙♠ほてることすさまじく、
暫時に干潟となり、天地もくづるゝかと、人みな魂をう
しなひ、痛憂ともいふひまなく、譫騒あへり。そが中に、
あたりの端家より火出て、倏にひろがり、おもふまゝに
魔炎すれども、周章て不管。老髐たるものを見捨、嬰児
を逆に抱きて走り、岩の硲に隠れ、あるひは跳レ地転レ天。
日ごろ貯へたる七珍万宝も何にかせん。命あればと足は
やみし。♠山に逃るもあり。さるほどに、震弥増につの
り、今や津浪もくべきやと憂慮して、活るも死せるも見
もやらず、棟落て死するもあり。煙にむせびて死するも
あり、其数をしらず。かくて山野に迷ひしもの、飢につ
かれ、寒気にとぢられ、あたりちかき小比山に便り、歎
くにこの寺も諸堂斜み、もはや法滅のときにやと、衆僧
♠きあへり。かくあるうちに、♠崩れ庭中♠となるに、
院主恵教こゝろえて、門前に寄寓をしつらひ、こゝに集
る数百人のものを愍み、寺領の収米を開蔵して、酒飯♠
をほどこし、幾の飢を助けたまふ。その外、一山の百姓
をして人歩を出し、公用の人馬の労を補ひ、草鞋を施し。
三日三夜の飢難をすくひ給ふゆゑに、公儀の御感に預り
たまへり。さて小木の津、三日にして漸くしづまりしを
見るに、町替り海ひあがり、地上七八尺ばかり躋りて、
更にもとの㒵はあらざりけり。其外、岩裂連木梢殺てあ
らぬところに、困潰出おそろしかりし天災なり。彼長明
が方丈の記にも、世にたぐひありしためしを書置たりけ
れば、都鄙をいはざるうきよの還迹、♠面にしていふも
おろかにこそ侍れ。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 182
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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