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項目 内容
ID J2600740
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1791/01/01
和暦 寛政二年十一月二十七日
綱文 寛政二年十一月二十七日(一七九一・一・一)〔蕨・川越〕
書名 〔寛政二庚戌日記〕○蕨市北町岡田茂右衛門政房筆 岡田進蔵
本文
[未校訂]同廿七日晴日和終日成 此夜四ツ時大地震入ル 家内
中皆々驚き外へ出ル 宿内の者共も皆々外へ出ル 同廿
八日明方曇明て晴天(中略) 又夜前の地震に所々の堂塔
墓所石佛抔大半返りし内にハくたけた石佛多し 猶又酒
造屋抔わゆりこほし大損毛有と聞へける其外土蔵所々
ひゝ入し手入等の普請出来て大きに迷惑(カ)なり 扨又昔の
地震咄を聞に先年元禄十六未の年十二月廿二日の大地震
以来の大ゆりなり 又其次天明二寅年七月十五日夜五ツ
時大地震 是にも劣らん地震なりと評判に及へり 終日
天気夕方東に雲おこる
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 170
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
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