[未校訂](近世 伊豆の地震史料)橋本敬之著
四 享保十四年二月九日地震
『豆州志稿』には、すべての地震の記録が残されてい
るかというと、そうではない。次に紹介する享保十四年
(一七二九)に地震があったことは記載されていない。そ
こで、南伊豆町に残された史料の紹介をする。
乍恐以書付を御注進申上候御事(6)
一、当二月九日夥敷地震仕、田畑・石垣、或ハ山々ゟ
大石をち、田畑麦作共ニ損シ、居家并こ屋等夥敷破
損仕ニ尓今地震不相止、依之百性不残家を仕舞、野
宿仕罷在候故、耕作之義ハ不申及、其日之営不罷成、
弥以及困窮至極難儀奉存候、右御注進書付差出申候、
以上
豆州加茂郡伊浜村 名主 五郎右衛門
享保十四年酉二月 組頭 竹左衛門
山田治右衛門様
御役所
表② 享保14年地震伊浜村被害状況
田(ヵ所)
畑(ヵ所)
本屋(軒)
こや(軒)
アイウエオ
カキクケコ
サシスセソ
タチツテト
ナニヌネノ
ハヒフヘホ
マミムメモ
ヤユヨラリルレロ
計
落居、新下田8歩
落居2
落居?
赤はね1
赤はね1
新田2
関畑2
関畑4
関畑2
関畑6
関畑2
1
1
1
1
宮下1
関畑3
関畑1、大畑3
関畑2
関畑1
関畑3
1
下限1
殿田前田2
作か坂1
関畑2
関畑5、大畑1
関畑1
1
1
そね1
?1
沢田2
沢田2
大畑2
1
1
大畑1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
14
45+α
10
20
ここにあるように、享保十四年二月九日に大地震があ
り、伊浜村(現、南伊豆町伊浜)は大被害を受けた。その
被害状況は表②のとおりである。伊浜村は「掛川志稿」に
よると、村高二三一石余、戸数一二〇、人数六五三人の
村柄である(7)。表②をみてもわかるとおり、田畑・居宅・
馬小屋・小屋などが被害をうけ、単純に、それら被害が
あった戸数を書出しただけでも四三戸にのぼる。居宅等
の被害は全潰はなかったようだが、半潰の被害である。
表②は内証調査ということで、報告したものと数字がち
がうところがあるが、大体の様子を掴むことができると
思う。
また、田畑の被害状況を字名毎にまとめたものを表③
に掲げたが、関畑に代表されるように、ある地点の被害
が大きかったようだ。
この内証調査を経て三島代官所へ報告したものが次の
もので、全般的被害状況を表している。
覚(8)
一石堤百弐拾間
是者居村之大手波横、但、先年ゟ之御普請所ニ御座候、
一□(破損、関カ)畑石垣破損三拾壱ヶ所
是者長五・六間ゟ弐拾間程ツゝ、高サ三尺ゟ六・七
尺程、
一屋敷破損三拾弐ヶ所
是者長三・四間ゟ拾五・六間程ツゝ、高サ五・六尺
ゟ壱丈程、
一本家八軒 但半痛
一馬屋・こいや共拾八軒 但半痛
右者御見分之上、ケ所委細御改被成候通相違無御座候、
以上
酉二月
表③ 字別被害
落居
3+α
赤はね
2
関畑
34
大畑
7
新田
2
宮下
1
下根
1
殿田前田
2
作か坂
1
そね
1
沢田
4
不明
1
(6) 南伊豆町伊浜 肥田家文書
(7) 『静岡県地名大辞典』、角川書店刊
(8) 肥田家文書