[未校訂](13) 金剛寺廃寺跡
場所 泉町下川字萱手三一
真言宗の寺跡で下川剣浜にあったが、富士興産油槽所
建設のため、部落の移転とともに萱手営農団地へ移る。
廃仏き釈で寺は破壊され、墓地のみ残っていた。
その墓地には、元禄九年(一六九六)六月七日、昼八ツ
時より大波風によって下川より四倉まで浜々漁船が吹流
され、都合二四五〇数人が死んだという大災害があり、
遭難したひとびとを供養した供養碑がある。
・泉の変災記
「岡小名清六筆記抄」より
延宝五年(一六七七)霊元天皇の御代徳川四代将軍家綱
の時にあたる一〇月九日五ツ時より津波がおしよせ、下
川から四倉までに男女八四人が流死した。
その他、この浜には少々ずつの流死があり、小名浜で
は男三人が犠牲になった。これは一〇月一五日下神白へ
死骸を葬る。
大地震による津波(一〇月九日)
壊れた家 四百八拾七軒
牛馬 三拾七頭死す
引き船 百七拾九艘流出