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項目 内容
ID J2600161
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1677/11/04
和暦 延宝五年十月九日
綱文 延宝五年十月九日(一六七七・一一・四)〔常陸・磐城・房総・八丈島〕
書名 〔永代綴にみる本谷の歴史〕○福島県本谷の歴史を考える有志の会編S62・10・30 本谷区長事務所発行
本文
[未校訂](13) 金剛寺廃寺跡
場所 泉町下川字萱手三一
 真言宗の寺跡で下川剣浜にあったが、富士興産油槽所
建設のため、部落の移転とともに萱手営農団地へ移る。
 廃仏き釈で寺は破壊され、墓地のみ残っていた。
 その墓地には、元禄九年(一六九六)六月七日、昼八ツ
時より大波風によって下川より四倉まで浜々漁船が吹流
され、都合二四五〇数人が死んだという大災害があり、
遭難したひとびとを供養した供養碑がある。
・泉の変災記
「岡小名清六筆記抄」より
 延宝五年(一六七七)霊元天皇の御代徳川四代将軍家綱
の時にあたる一〇月九日五ツ時より津波がおしよせ、下
川から四倉までに男女八四人が流死した。
 その他、この浜には少々ずつの流死があり、小名浜で
は男三人が犠牲になった。これは一〇月一五日下神白へ
死骸を葬る。
大地震による津波(一〇月九日)
壊れた家 四百八拾七軒
牛馬 三拾七頭死す
引き船 百七拾九艘流出
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 63
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福島
市区町村 いわき【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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