[未校訂](長徳寺本堂再建勧進帳)
(前略)
加之宝永四歳冬 [重|かさねて]遇地震之大変殆至財損甚矣
故余華給侍尊霊而朝兮暮兮痛之憂之 雖然賎♠貧
困而無修之力因乞十方施門(以下略)
正徳元辛卯歳夷(七月)則吉祥日
遠州榛原郡
長徳寺住僧禅海 謹白
飯渕之村
とある。現在本堂に安置されている本尊「不動明王立像」
(大井川町指
定文化財
)の立派な厨子が屋根部分を失い、[庇|ひさし]が後補さ
れていることより長徳寺の本堂は宝永地震によって相当の
被害を受け厨子の屋根部分を押しつぶしたことは間違いな
かろう。また下小杉村(大井川町
下小杉
)の横山英一家住宅(元禄
年間
の建築と
いわる。
)の大黒柱下部に残る浸水の痕跡はこの地震の津
浪が大久保川(田中
川
)を遡上して下小杉村に浸水したとき
のものという。