[未校訂] 元禄十六年十一月二十三日関東地方大地震あり、安房地
方被害多く那古観音堂宇や寺宝ことごとく地中に埋没した。
その後安政の地震、大正十二年の地震とこのように館山
築城後も相当回数の地震があり、其の度に大きな被害と、
多少の地盤の変化のあったことが考えられる。殊に元禄の
地震は館山湾で二・五米、富崎方面で五~六米(関東地方
の地震と地殻変動)隆起しているが、当時の海岸線を具体
的に知る記録は乏しい。まして館山築城時代に於ける地震
についての記録は何もない。
那古観音堂は、元禄の地震以前は裏山の鞍部にあったが、
倒壊後現在地に建てられた。以前は川名岡方面に参道があっ
たといわれ、館山市船形正木太四郎氏蔵宝暦二年古川新田
(川名どんどん橋附近)開発についての文書があり、元禄
地震二年後(宝永二年)新田を三年間年貢なしに作ること
を許している。又川名には新町の名が土地台帳に残されて
いて、元禄地震後の町であることを物語っている。
元禄地震で二・五米、大正十二年の地震で二米、元禄以
降四、五米許りの隆起があったことになる。