[未校訂]埋木短冊掛(牛ノ沢川出木)
仙年木考
私のおぼろげな記憶によると、ある日突然吹越烏帽
子岳山麓一帯の山火事で、私は多くの樹木の仲間達
と共に焼け、その姿は見るも無惨な焼樹と化し空し
く風化し生涯を送るものだと考えていた。併し定か
ではないが、天和四年頃(一六八四)人里から多く
の人々が、どやどやと山に入り焼けた我々の仲間を
次々と切り倒し吹越海岸方面へと運び製塩の薪とし
て灰燼となった。私も何れは薪として切倒され燃や
される運命にあると考えていた。ところが正徳元年
(一七一一)激しい大地震で立樹は根こそぎ倒され、
その恐さは今でも忘れない。それ以来何十年たった
ろうか、ある年寛政十二年(一八〇〇)か、天保八
年(一八七三)頃の大洪水にあい、岳の上から流れ
流れて人里近い河川の岸近く埋没してしまったので
ある。再び日の目を見ることも出来ぬまま、昭和四
十八年九月二十三、四日の集中豪雨の被害によって
河川工事中計らずも土中から引揚げられ、此の度の
横浜町新庁舎落成記念式典の記念品として野坂町長
の構想により数多くの人々に短冊掛として愛用して
頂けることとなり身に余る光栄と存じ数百年の越し
方をふり返って奇しき運命を考えるものです。
昭和五十年十二月三日 二本柳 正一 解説