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項目 内容
ID J2400933
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1711/99/99
和暦 正徳元年
綱文 正徳元年(一七一一)
書名 〔横浜町誌 資料編 第一集神社編〕S53・4・1青森県横浜町誌編さん委員会
本文
[未校訂]埋木短冊掛(牛ノ沢川出木)
仙年木考
私のおぼろげな記憶によると、ある日突然吹越烏帽
子岳山麓一帯の山火事で、私は多くの樹木の仲間達
と共に焼け、その姿は見るも無惨な焼樹と化し空し
く風化し生涯を送るものだと考えていた。併し定か
ではないが、天和四年頃(一六八四)人里から多く
の人々が、どやどやと山に入り焼けた我々の仲間を
次々と切り倒し吹越海岸方面へと運び製塩の薪とし
て灰燼となった。私も何れは薪として切倒され燃や
される運命にあると考えていた。ところが正徳元年
(一七一一)激しい大地震で立樹は根こそぎ倒され、
その恐さは今でも忘れない。それ以来何十年たった
ろうか、ある年寛政十二年(一八〇〇)か、天保八
年(一八七三)頃の大洪水にあい、岳の上から流れ
流れて人里近い河川の岸近く埋没してしまったので
ある。再び日の目を見ることも出来ぬまま、昭和四
十八年九月二十三、四日の集中豪雨の被害によって
河川工事中計らずも土中から引揚げられ、此の度の
横浜町新庁舎落成記念式典の記念品として野坂町長
の構想により数多くの人々に短冊掛として愛用して
頂けることとなり身に余る光栄と存じ数百年の越し
方をふり返って奇しき運命を考えるものです。
 昭和五十年十二月三日 二本柳 正一 解説
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 171
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 横浜【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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