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項目 内容
ID J2400616
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1677/11/04
和暦 延宝五年十月九日
綱文 延宝五年十月九日(一六七七・一一・四)〔常陸・磐城・八丈島・房総〕
書名 〔ふるさと〕S56・12上総一宮郷土史研究会
本文
[未校訂](波切地蔵の項)
 それを裏付けるような古記録が新熊の田中家にある。
同家には、延宝津波によって幼い生命を失った子女の位
牌があり、その裏に次のような添書がある。
 「延宝五巳天十月九日津波㚑(侵の意)水夜八時過富士嶋地蔵根
迄登人馬多数死」とある。
 位牌の添書がいつのものかはっきりしないが、これに
よれば延宝津波のときすでに地蔵はここにあったことに
なる。
 この時の津波による死者を弔うための供養塔が新熊部
落青年館前に建てられている。この塔は今から二八七年
も前に建てられたもので、時の経過と共に石苔に包まれ
てはいるが昔のままのお姿である。
 供養塔の表には、
十百万返成就 施主 一四三人内男 七〇人
女 七三人
元禄七年甲戌十月 日東浪見新熊、原、入鉢
と、刻まれている。津波災害から十七年後の造立であ
りおそらく親類縁者が百万遍念仏を唱え供養するために
建てたものであろう。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 121
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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