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項目 内容
ID J2400131
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1510/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1510/09/21
和暦 永正七年八月八日
綱文 永正七年八月八日(一五一〇・九・二一)〔摂津・河内〕
書名 〔寺社大観〕
本文
[未校訂][定光寺|ヂャウクワウ] 東春日井郡品野町
㊀臨済宗妙心寺派。
㊁應夢山と號す。暦應元年、僧覺源、之を開創す。中古
衰退せしが、元和年中、藩主徳川義直堂宇を再興す。
慶安二年、喝堂全用入りて中興し、大いに寺基を固む。
もと建長寺派なりしが、これより妙心寺派となる。現
に徳川家の菩提所なり。
㊂本堂(方五間、重層、上層假屋根切妻造、柿葺)は明
應二年の再建に係り、永正七年、震災に大破、天文三
年、修理再建せられしものにして、後世、上層の斗栱
以上を撤却し、假屋根を架せしを以て、外観の美を損
せしも、其他は當初のまゝにして室町中期の優秀なる
様式を示す。殊に須彌壇勾欄の端に、鯱形を刻めるは
注目すべき手法なり。現に國宝建造物たり。什宝中に
太刀二口あり。一は徳川綱誠の寄進に係り、銘助重、
拵絲巻、他は徳川家宗の寄附、銘守家、拵絲巻なり。
共に現に國宝たり。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 20
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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