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項目 内容
ID J2400058
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1340/99/99
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1340/99/99
和暦 興国元年
綱文 興国元年(一三四〇)
書名 〔車力村史〕青森県西津軽郡車力村史編集委員会S48・12・25 車力村役場
本文
[未校訂]八、津浪
 津浪については、鎌倉時代の初期に当る貞応二年(一二
二三)天然の良港だった十三は廻船式目によって、日本七
港中に定められた。また、養老四年(七二〇)津司が配置
されたという、古文書の十三往来、十三新城記によれば、
商家一千軒、年間一〇〇万金(一万五千キロの金)の取引
があったといわれ、それに民家や三千人からの山伏行者が
居て、相当繁栄し、当時の十三は津軽屈指の町であったと
いう。ところが南北朝時代の興国元年(一三四〇)大津浪
で破壊し、廃虚となって了った。この津浪による死者は一
〇万人とされており、当時の十三を支配していた安東の殿
様は直ちに港の再建に着手一応完成したものの津浪で埋れ
た水戸口の変化は著るしく、遂いに港として適さなくなり、
現今の漁村となり果てたという。
 この破壊の事実は、後年幾多の寺院跡から出土した一尺
七寸(五六センチ)の鉄釘やその他の器物によって、当時
の規模の拡大さが推測される。その頃、車力村も十三領域
であったが、山林地帯には可成りの被害跡があり、それが
ため、大きな地変があったと思われる。車力本村の西浜の
排水川とされていた阿闍羅川も津浪で埋もれ、異変して、
今は唯残る阿闍羅河口の名のもとに、砂丘の底から川水が
ゆっくりと日本海に流れ出ている。
出典 新収日本地震史料 続補遺
ページ 10
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 青森
市区町村 車力【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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