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項目 内容
ID J2203871
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1812/12/07
和暦 文化九年十一月四日
綱文 文化九年十一月四日(一八一二・一二・七)〔江戸・神奈川・程ケ谷〕
書名 〔役用日記〕桐生市 書上家文書
本文
[未校訂]一当月四日未ノ刻過大地震、東海道藤沢宿酒屋損し其外宿内
少々痛有、戸塚宿元町橋東西ニ而家弐拾軒斗こけ候、其外
家蔵損し多く御座候、新町本陣半分大損し、其隣家少々損
し、同所□はなニて拾弐三軒斗、神奈川問屋場より東ニ而
亀屋と申奈良茶屋当時手習手跡指南も被致候、二階わ習ひ
子供八ツ上り帰りと存居候処残り居候子供二人即死、同裏
町ニ而弐拾軒斗、寺院所々損し、川崎[古土呂|コトロ]石橋近所ニ而
家二軒損し、六郷万年屋向ひ四五軒斗、同川東端ニて地中
一面ニわれどろ水出る、其外間の宿少々つゝ神奈川ニ而拾
人斗死ス、扨又江戸表も土蔵等又ハ御屋鋪長屋等大損し、
右荒増十一日九日嶋屋ゟ承り申候
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 659
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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