Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2201278
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1683/06/17
和暦 天和三年五月二十三日
綱文 天和三年五月二十三日(一六八三・六・一七)〔日光〕
書名 〔江戸幕府日記 写〕島原松平藩
本文
[未校訂]廿三日甲

 晴 辰刻地震
廿四日乙

 晴 辰刻少地震
五月廿五日
日光山昨廿四日巳刻数度地震、午刻甚地震、御宮御堂無異
儀 御宮之奥院御宝塔并御拝殿頎(傾)石之瑞籬皆押返、石燈籠
倒摧く二王門外之石垣不残崩、アホウ丸石垣動出、御唐門
曲ハメ板皆破裂、大猷院殿御堂石之瑞籬皆崩、石燈籠・金
燈籠大形崩落、慈眼大師之霊廟九輪揺落、鴈木曲霊廟左右
之六天不残倒、石手水鉢台共ニ摧、地蔵不動倒、石柱之唐
門屋根破裂、総寺中破損、四壁・石垣等不残崩、御殿四方
之塀・石垣・御門皆崩、本坊之塀・石垣大形崩、御宮之前
五重之塔傾、石之華表少曲、神宮・本宮御門・塀倒、滝尾
別所之山崩掛、三別所半分程崩、三仏堂二三尺脇ニ寄、此
趣依註進御三家・甲府参議并在府之諸大名・高家衆・詰
衆・諸番頭・諸物頭・諸役人等各登 城、奉窺 御機嫌、
堀田対馬守正英日光為見分被 仰付、即御暇今晩発足
廿六日丁

 晴 今度日光山御法事之節、於彼地御役相勤輩賜
御褒美時服四伊奈半十郎御代

 黄金二枚・時服二充飯高七
左衛門・本目庄左衛門各御、
右筆
時服四冨永喜三郎御納戸、
組頭

服三充柴田源右衛門・伊奈半左衛門・天野孫兵衛・入戸野
十左衛門各御、
納戸
黄金一枚・時服三渋江松軒御医

……………
(後略)
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 253
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長崎
市区町村 島原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.017秒