Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2200411
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 慶長元年閏七月十三日(一五九六・九・五)〔近畿・中国・四国〕
書名 〔図録 家康の書と遺品展〕S58秋 徳川黎明会
本文
[未校訂]候へく候 返々、何事
なく候まゝ、御心
安おほしめし
大ちしんにより
御ふみ給候、御うれしく
見まいらせ候
おやこ何事も候はす候
まゝ、御心安おほし
めし候へく候
やかてくたり
まいらせ候へく候まゝ
御けんさんにて
申まいらせ候へく候
かしく
御屋(切封)しき 内府
返事
追加 徳川秀忠夫人浅井氏に送った消息
(慶長元年閏七月下旬)一巻
三一・六×九四・九 徳川恒孝氏所蔵
この展覧会開催の六日前に発見された新史料である。
慶長元年閏七月十二日夜子刻、畿内に大地震が起こった。世
に云ふ伏見の大地震である。江戸でその報らせを受けた秀忠
夫人(浅井氏)於江の方は、早速、見舞の文を家康に送った
と思はれる。この消息はその文に対する返書である。
文中にある「おやこ」とは家康・秀忠父子、宛所の「おや
しき」とは於江の方、「内府」とは、同年五月八日に正二
位内大臣に昇進してゐた家康の自称である。
秀忠と於江の方は、この前年の文禄四年九月十七日に、秀
吉の媒介によって結婚してゐるから、まだ新婚後一年に満
たぬ若夫婦である。嫁女からの見舞の文に礼を述べ、自分
も息子も無事だから安心する様に、やがて江戸に下ったと
き、お目にかかってお話ししませうと云った文意には、於
江の方に対する細やかな心づかひが感じられる。
この約一ケ月後の九月五日、家康は伏見を出立して江戸へ
の帰途につく。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 91
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.002秒