[未校訂]候へく候 返々、何事
なく候まゝ、御心
安おほしめし
大ちしんにより
御ふみ給候、御うれしく
見まいらせ候
おやこ何事も候はす候
まゝ、御心安おほし
めし候へく候
やかてくたり
まいらせ候へく候まゝ
御けんさんにて
申まいらせ候へく候
かしく
御屋(切封)しき 内府
返事
追加 徳川秀忠夫人浅井氏に送った消息
(慶長元年閏七月下旬)一巻
三一・六×九四・九 徳川恒孝氏所蔵
この展覧会開催の六日前に発見された新史料である。
慶長元年閏七月十二日夜子刻、畿内に大地震が起こった。世
に云ふ伏見の大地震である。江戸でその報らせを受けた秀忠
夫人(浅井氏)於江の方は、早速、見舞の文を家康に送った
と思はれる。この消息はその文に対する返書である。
文中にある「おやこ」とは家康・秀忠父子、宛所の「おや
しき」とは於江の方、「内府」とは、同年五月八日に正二
位内大臣に昇進してゐた家康の自称である。
秀忠と於江の方は、この前年の文禄四年九月十七日に、秀
吉の媒介によって結婚してゐるから、まだ新婚後一年に満
たぬ若夫婦である。嫁女からの見舞の文に礼を述べ、自分
も息子も無事だから安心する様に、やがて江戸に下ったと
き、お目にかかってお話ししませうと云った文意には、於
江の方に対する細やかな心づかひが感じられる。
この約一ケ月後の九月五日、家康は伏見を出立して江戸へ
の帰途につく。