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項目 内容
ID J2200299
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1498/09/11
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1498/09/20
和暦 明応七年八月二十五日
綱文 明応七年八月二十五日(一四九八・九・二〇)
書名 〔紀伊国続風土記付録 十六〕天保年間仁井田好古筆▽
本文
[未校訂]吉備国名方浜宮
右(○名草郡)大野荘名高、浦の東二町許藺引森是其旧址な
り、今は藺引森より東三四町許山岡の半腹に鎮まり坐せり其
山岡は東の山より続きて平野に突き出て延袤方五町許といふ
藺引森は海浜に近く平衍の地なれは洪波の患ありて此山岡高
爽の地を択みて遷し奉り日方一村の産土神となし呼ひて里神
といひ来れり

これは大野荘産土神春日社の神幸所なりし時といふ是等も今
は皆田畠となりて其所に桜樹一株ありて猶其地を標すといふ
然るに
此地海浜なれは数百年の間には海嘯洪波の患幾度もありしな
らん何れの時にかありけん其患を避けて此山岡の地の小高き
所を択びて御社を遷し奉れり。
(都司注) 右の神社移転記事の前に、応永六年(一三九九)
には神社は藺引浜にあったことを記している。また右の記
事のあとに天正兵火の記事がある。よってこの文にある洪
波の患とは明応の津波のことであろうか。
(○参考に左の〔続日高郡誌下〕を掲げる)
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 52
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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