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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J2200226
西暦(綱文)
(ユリウス暦)
1456/02/05
西暦(綱文)
(先発グレゴリオ暦)
1456/02/14
和暦 康正元年十二月二十九日
綱文 康正元年十二月二十九日(一四五六・二・一四)
書名 〔妙心寺について〕山本啓蔵著「熊野誌」 ▽
本文
[未校訂]一 妙心尼寺については妙心寺朋美様方御所蔵の旧記を見せ
て貰って参考にした。
二 妙心寺は神倉神社本願妙心尼寺であって神社と深い関係
である。
三 妙心尼寺は慈覚大師の創立と称せらる。
(中略)
七 妙心尼寺が神倉神社に奉仕した事実
天武、持統の御宇、神倉社殿を建立し仏閣を造営して以来一
二九〇年間に天変地災に尽力した事をあげて見る。
①聖武天皇天平六年大地震で社殿崩潰。同八年再建
②元久元年神倉炎上、承元四年再建
③寛元二年神倉炎上、宝治二年再建
④康正二年大震災、 延徳元年再建
⑤天正十六年神倉炎上、十八年再建
以上は大きな災害を上げたが他に小被害も数々あるが省略す
る。
此等の災害に対して活躍された尼僧は星徳尼で、右再建に活
動した功績として大内から銀千貫を下賜された。因って星徳
を千貫比丘といっている。
妙順尼は康正の地震に康正二年以来延徳元年まで三十六年間
荒廃のままであったのを活躍して再建したもので、その賞与
として諸国勧化、奉加の功につき再度の願職を受け免許書上
一札、並に棟札にも記載された。
出典 新収日本地震史料 補遺
ページ 39
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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