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項目 内容
ID J2000070
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・越後西部〕
書名 〔地震見聞あらまし〕
本文
[未校訂]地震見聞のあらまし
より初る時ハ弥生の未四日夜るの五ツ□
大地震なり
神仏地震に類無方便て我か家に
何の別条ハなし
石火矢にまかふ程成音のしてとんといふゟ
家ハきし〳〵
寝もやらず起て計ハ身もつかれ眠らんとすれハ
石火矢のおと
水出んと川中嶋の人か来て赤坂山ハ
黒山となり
矢倉の藪に数多の人か寝て泊り雀の
さわくちやくや
火々にも成かハしらぬ赤坂の山にかの子か
生れ出しは
潰る家にこセの命のたすかるハ火煙の中に
雉子隠れして
大地震軒を離れて小屋かけて
町在中に仮住居する
鐘楼をもかたけて廿五日より大黄寺にて
時のかねつく
小市ゟまつミの成か抜落てさいきえ止る
犀川の水
大地震悪心するか先道と家て火を焚
人迚ハなし
地ハ割れて石垣崩れ大岩も落る計そ
鞍胄のしろ
膳腕の音ハかたおち仮住処むくらのぬへる
すきとてハなし
光るよりはや明渡る響こそ空鉄炮を
打やとんとろ
袷着る時とや見へず馬妻や稲綱の山ハ
雪そ降りける
清き神へ川中嶋かむれてきて神事に増ハ
十億の人
古しひハ空に鞁の声すてふ今の地震は
石火矢の音
弥生の未の九日に産神て地震除の
御祈禱そある
犀川を止めたる土手を繩下ケて見れバ水迄
九丈あるよし
一日に八寸計水あがり何十日て
土手に乗やら
よつて来る百万べんや地震除念仏も高き
源のてら
林正寺仮宅に来て子をうんでかかしくも有
衣のもの
御きのどく又ハ縁者へも仮宅に来ル
川中の人
堂宮の石垣又ハ塀夜燈墓の伝ふハ
数〳〵の事
塩崎の光東寺又小松原天正寺迄
倒れけるとそ
酒蔵ハ五明今里清きのも潰れて外ハ
いたむ計か
早鐘に欠出ミれハ九の所地震の中に
火事ハ大変
善光寺ハ廿四日の宵の火事翌の夜明の
前そしづまる
セんこしや上ハ石堂下吉田焼て残るハ
御堂山門
稲荷山地震に潰れ焼失て残りし家ハ
唯四軒なり
篠野井やミろく地蔵により潰し残りし
家ハたつた三軒
人ハミな[家内|かない]残らす引連て小やて飯たき
喰□□□
清きのも新松原や近藤嶋大地か割れて
泥をより出ス
あまさがる岩の崩れて落る時地しん〳〵と
響きこそすれ
御私領の死したる人ハ晦日迄弐千四百と
七十人の余
瀬原田に倒れて焼る高雲寺高場真勝寺ハ
只潰れける
梓三子地震の時やきらわれん今にも爰へ
よつて来るかと
清き野ハ仮の富貴と成にけり馬て附込
簞笥金箱
清きのゝ丹後の山に引越て丹波ハ嶋の
水におそれて
清き野べ川中嶋の人々か馬て附込
荷物俵□
山抜て舟なく渡る丹波嶋地震に止る
犀川の水
川中の人ハ千曲の川越ておもひ〳〵に
かたに宿りぬ
松代のことをハ言す便り毎委敷知れん
大変なもの
越中の立山焼る取沙汰て見届不行
人も有よし
上田にてたすけの小やにまかなふハ川中嶋の
御私領の人
赤坂の山や岩のゝ山の小屋川中嶋の
人の数〳〵
見聞たることハあらまし写セとももるゝ所ハ
いか斗りそや
いと恥入他見恐る
(注、左記のものは他出あるため省略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻6-1
ページ 423
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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