[未校訂](注、六月十五日の地震の記述省略)
霜月四日四ツ時、又候大地震ゆる来ル、是ハ六月とハ様子か
わり、子とも遊ひのぶらこくに板をかけ押遣りふら付様、凡
半時斗ゆりどふし、是にまた驚き皆々外へ飛出、また候かり
家を出来、四日祭り、畑やら田ニ而いたす、其日八ツ半時ま
たきびしく大ゆりする。また五日七ツ半時、四日の朝同様大
ゆり半時斗りゆる也、其時も三日三晩かり家ニ而住居する、
此地震諸国の様子聞に、日本国ニ六ケ国無難成国ある斗、別
而五日七ツ半時地震、東海・原・吉原辺・阿(新)ら井大あれ、五
十三宿地震ゆり込又は火事ニ而、当分海道留る、また阿波之
国ハ徳島城下近辺弐里半四方大ゆり、地のわれ目へ牛馬はま
りしつみ、又は火事ニ而弐里半四方丸やけ、中々人数知られ
死(ず)失つる、同十五日迄かりやを致す事も出来すと申由、次ニ
さぬき・土佐申ニ不及、また右五日七ツ半時ゟ夜之初夜へ
向、大つなみニ而大坂大荒、紀州大荒、伊勢・志摩・尾張嶋
々不残流れ、是も古今ニ稀成大つなみなり、諸国のさわき大
かたならす、十一月末つかたニなれ共、海の水黒にこりニ而
汐さし引不足、誠ニ当年ハ春ハあめりか舟江戸へ来り、四月
ニは禁中不残洛中大火、九月ニはおろしやの舟大阪川口迄入
来り、大さわきまことに〳〵恐しき年なり、あり〳〵書つた
へ申候