Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1900088
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔奈良井上町年代記〕○奈良S18・4・15高田十郎著 桑名文星堂
本文
[未校訂]大地震、並、会所普請由来、是より奥ニ記
尚此近年、家売買券文書目、薬屋益吉、□□□忠七、揉屋佐
兵衛、次第不同ニ印
嘉永七年(寅年安政元)六月十三日、昼九ツ時・八ツ時(正
午・午後二時)両度、中大之地震ニて、同十四日夜九ツ時頃
(午後十二時)大ニ震ひ、燈火消、家根の瓦飛上り、家も例
(倒)れ、蔵之壁こぼて崩、其音雷のごとく、諸人の泣声ニて
驚、病人即死、或ハ押ニ打れ、死人数多有之、奈良町中ニ百
十人有よし。久保町・水の上(未詳)・清水辺ニて、四十人
余有之候。元興寺塔の一重め、瓦残らず落る。御番所(奉行
所)壊ル。土蔵不残壁落ル。春日社石燈籠、不残倒レる。辰
(安政三)の春正月頃迄、時々震ひ候。夫より相止ム。其外
諸国、伊賀上野、別て大震ひ、卯年(安政二)十一月十八日
頃、奈良又大地震之処、夕方ニ西の方ニ当り、大筒鉄炮の如
音聞へ候故、何事ならんと不審ニ思ひ居候処、其夜四ツ時分
(午後十時過)大坂津浪のよし、噂有之候。後日ニ承り候へ
バ、木津川口より吹出し、大舟何艘となく、道頓堀筋へ登り
候。然ル処前日大地震故、市中之大家、女中老人、押ニ打れ
ざる用心ニ哉、川舟ニ乗、川口へ出し処、右津浪ニて、大船
逆登り、川舟下敷ニ成、乗人とも大船の下ニ成候よし。尤、
乗人大家之仁客有之、衣服着餝り、懐中ニハ金子多く貯へ有
之候ヲ、後日ニ是ヲ取ニ行者有之、早々相知レ、入牢いた
(し)候。何れ地震之跡ハ、必津浪有よし往古より申伝へ候。
熊の浦抔も、海辺ハ皆津浪有之候よし。松前も地震津浪に
て、にしん・こんぶ類、出不申故、大高直ニ成候
一昨年より順気宜敷、米穀豊作ニて、米直段追々下直ニ相
成、地震之跡ハ、極て豊作のよし、先、是ニて少し安心いた
し候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ 1568
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 奈良【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒