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項目 内容
ID J1800175
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔五一六〕 勝麟太郎に贈る
本文
[未校訂](前略)
北堂君其後は何の御碍も不被為在候か御容子委しく相伺度候
此地両三日前迄は寒気も例年よりゆるやかにて手水鉢などに
氷のゐ候事もまれに候ひき但昨今余程の寒威にて庭面なども
堅く凍り申候然る所今日巳の時ばかりに余程強き地震有之候
尤も只今罷在候所は御安口と申地名にて候が此以前未年の大
地震にも人家など一軒も損じ候事無之場所に御座候夫故か左
までの事とも存じ不申しかし大分強く長くゆり候に就き母等
をも致介抱庭へ出候てしばらく其静まり候を待ち候位の事に
て御座候ひき然るに不思議なる事には城下の内にても中町鍛
冶町石町など申辺は只今罷在候御安口と申より僅か六七町も
隔り候はん位の所にて候が地震の道筋に当り候と相見えやは
り未年の如く町屋も倒れ候て人も五人ばかり致怪我家も三十
軒あまり損じ候と申事に候城中などの事気遣はしく早速安世
に申付見せ候所是は一切何事も無之惟外がこひの塀わづかに
いたみ候よしに御座候乍去遠方隔り候其表などへは其実より
大騒にも相聞え可申左候はゞ北堂君などには別して御案事も
可被成下と奉存候故段段の御礼旁其実を申上候義に御座候何
も御気遣ひ被成下候程の義に無御座只今居候所は地震には以
前并に今日の例を追ひ候に気遣ひ無之候其上一度強きふるひ
有之候と其後蹔は安心なるものに御座候只今安世方に母も不
快旁同居罷在候が両三日中やはり御安口と申内にて安世方よ
り一町ばかり東南に其表上屋敷に居候重役望月主水が別業に
相応の住居有之是は至て四時の景色も宜しく庭も頗る広く候
て戸を閉ぢ書を読み候には究竟の場所と存じ候故其表に罷在
候間に致約束置き候に付夫へ引移り候心組に御座候是へ移り
候ても同じく此前も地震の難無之所に御座候間先御心易被思
召被下置度候地震に付其表へ便有之候と申に付早々申上候乍
憚北堂君小星君へ宜しく御伝意願上候時気折角御保護奉禱候
恐惶不粛
十一月四日 大星拝覆
勝君台下
(後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 534
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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