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項目 内容
ID J1800060
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名 〔水戸藩史料上編 十三〕宮内庁書陵部
本文
[未校訂](安政二年乙卯の部 三)
斉昭の幕政参与
(前略)
尋て甲寅五六月の交
即ち横浜談判の失敗後に及て幕府漸く諸政改革の議
あり
阿部正弘が三十七条の改革案を草せしこと甲寅の条に出つ斉昭乃ち大に之を賛成し其
断行を勧誘せしが、爾時改革の必要ハ未た其困難に打勝つこ
と能ハす改革案の成立ハ僅に諸侯の騶従を減し武備を戒飭せ
しめたる一令ありしに過きすして荏苒時日を経過したりし
か、同十一月下田に地震海嘯の変あるに及ひ
是時の震災ハ下田
尤も甚しく其余延
て東海道諸国より近畿南海西海にも及ひしこと下田事件の条に記せり斉昭ハ熟ら内外の多事を省み
て戒虞する所あり、同二十六日又建議して諸制の改革を促し
来正月の諸儀式より登城其他の常例虚飾を省略し専ら質素簡
易の制に復し以て武備に傾んことを謀れり、其略に曰く
一地震津浪古今未曾有之大変云云(中略)
右大変に付てハ幕府にてもおそくも来正月より登城其外御
年限を以て出格の御差略不被仰出候てハ諸侯続き兼可申奉
存候、来年抔ハ凶荒の程も難計只今より御心がけ御調へ有
之可然歟
是時に当り……(後略)
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻5-1
ページ 366
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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