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項目 内容
ID J1700202
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛騨・越中・加賀・越前〕
書名 〔伊井村史〕○福井県S29・4・25 坂井郡伊井村役場発行
本文
[未校訂]第三節 安政の地震
安政五年(一八五八年)二月二十五日朝八つ半時(午前三時
頃)地震があつた。それより余震は頻発して十日ばかりはや
まず。その二十五日の如きは霞ケ城天主閣東方の鯱を落し丸
岡町及び金津町などは夜地震が強く、丸岡町のみでも次の被
害があつた。
十軒町長屋(藩の建物で藩士の住宅に分貸せしもの)両側と
も及び五軒町に二軒、金津口に三軒、小人町に二軒の倒壊家
屋があつた。八幡町に地割が生じそこより青砂を出し噴水し
た。家屋その他の建物は悉く傾き、各家の水がめの水は傾出
し、小器は倒れ、特に油つぼの置場に困つた。但し幸に火事
はなかつた。
各家では地震よけ小屋を作り住むこと月余特に三月三日の如
きは、大雷風雨のため小屋の中は漏り、住宅に入れば地震の
恐れがあり皆進退に苦しんだ。(丸岡町史による)又橘曙覧
書簡集に「夜地震よほど強く御座候。大聖寺・金津・丸岡な
どはまだまだこの地よりは強く、民家つぶれ候もあまたこれ
ある由」と出ている。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻4
ページ 658
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 伊井【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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