[未校訂]一一 満濃池の修築と白方村
満濃池は寛永年間、西島八兵衛[之尤|ゆきとも]これを修築して往時の盛
観に復したので、灌漑区域の住民は多年その恩沢に浴した
が、竪樋・底樋共木造であつたので、屢々腐朽し爾後十五回
の修繕をしたが、かくてはその煩に堪えず、木造を石造に改
造せんとの議が起つた。そこで嘉永二年榎井村の庄屋長谷川
嘉平次は、関係者と相謀り樋替を為すに当り石材を用いて埋
樋の腐朽を防ぎ、将来の労費を省かんとし官に請うて許可を
得、嘉永二年己酉年底樋の前半を石造に改めた。長さ三十間
の内竪の接合部七間を除く二十三間は石材を以て構築した。
次いで嘉永五壬子年底樋後半を石造に改築した。かくて安政
元年四月全部竣工したが、六月に至り地震が起つて樋管の側
壁に滲潤の兆あり間もなく池水噴水し百方防衛法を講じたが
遂に及ばす、七月九日の夜決潰し、大水は那珂・多度両郡に
漲り、数村の緑田忽ち河原となり家屋人畜の損害亦頗る多大
であつた。(後略)