Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1600175
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔引本浦吉祥寺過去帳〕▽ 脇貞憲家文書
本文
[未校訂]嘉永七寅十一月四日今冬年号相改テ安政ト改暦即元年寅トナ

当六月十三日正九ッ時地震又正八ツ時地震此日両度也。翌日
曇雷鳴ス格別不厳則九ッ過ヨリ霽天ニナル此夜鶏鳴程近キ刻
限ニ大地震凡始未半時ニ程近シ。夫ヨリ暁天頃地震又九ッ時
地震八ツ時同断暮テヨリ五ツ頃同断夫ヨリ村中津波之案事心
配致老若男女小童ニ至ル迄何トナク人気相乱寺江九ツ時ヨリ
皆々競来昼夜不相分心配而已ナリ。庫下本堂衆寮方丈迄人民
込入荷物重宝之類等寺へ相運入此昼(○夜と書いて消してあ
る)大船若六百巻転読
十六日も同断四五度宛之地震十七日同断十八日同断十九日同
断廿日同断廿二日より少々相軽ミ候へ共五六度ツゝ相ユリ申
候。廿二日夜五ツ時又十五日之早天同断之地震ニ付仲立相止
メ申候。廿三日も少々ッゝ相震廿四日三度震格別之事無之候
得共雨天□様始終相致且土用前故斯ノ如ク哉ト相察候得共心
配のミ不相止事也
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 174
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県
市区町村

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒