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項目 内容
ID J1003263
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1835/07/20
和暦 天保六年六月二十五日
綱文 天保六年六月二十五日(一八三五・七・二〇)〔陸前・陸中〕東北・関東・越後⇨仙台津波
書名 〔渋江和光日記〕○秋田
本文
[未校訂](六月二十五日の条)
一八ツ時過長き余程之地震也仍而貞弥無間登 城也
渋江東一郎も其ニ付同様登 城 御二方様へ御機嫌
伺ニ登 城申相済則罷下帰宅也
一右東一郎登 城之節渋江左膳へ我等 御機嫌伺も申上
呉候様申遣候所左膳罷下り梅津外記殿被出候故外記殿
へ申評(談)同人申上候由貞弥下りに申遣候
一右ニ付穴門(カ)惣体根小屋惣体へ使者ニ而安否尋申遣候
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 712
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 秋田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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