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項目 内容
ID J1003067
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔両津町史〕○新潟県佐渡
本文
[未校訂](前略 八幡村史料と同内容)
湊町仁兵衛船四人乗、原黒村六三郎船四人乗、羽黒村七
兵衛船三人乗は、新潟湊に㗴(ママ)掛りしていたのであるが、
十月二十六日の地震高波で破船した。しかし、乗組員は
無事であった。
夷湊方面では浦通りの小屋の流失が多く、とくに城之内
が甚だしく、人家の倒潰、漁船の転覆が出た。欄干橋は
落ち、御番所の松に碇綱で止めてあった鍵屋所有の七百
石積大船は川口に打ち込まれて大破した。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 693
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 両津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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