Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1003015
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔八丁夜話〕「第二期秋田叢書 二」
本文
[未校訂]五二六
○廿五日。曇りて小雨なり。此日町処へ出て諸事取調
てあり。瀬兵衛か明日越後へ参る迚出しかは何角の事を
談してありしに、未の半刻とも覚しき頃俄に地震ふ事甚
し。凡半時も震いたるなるへし。役処の造りは瓦屋根な
れはもと天窓(ママ)勝なるゆへ誠にけしからす、振れて潰れん
とするはかりに思はれたり。我坐して居りし側の床壁か
落刀懸へ当る。障子なとはみり〳〵とさける。隣は江戸
屋敷〈注・現協働社ビル〉なりしか是は棟敷なるに未塵
になりしことくに見ゆる。瀬兵衛は用談を半はにして立
てり。須叟にして静になれは、密に次の間を覗けは一人
も不居、不残長町の土手へ出たるもおかし。逐々のさた
諸破損夥し。
七つ頃に帰宅し見れは我家未塵になれり。第一石屋根
なれは不残屋根は落たり。近年皆継足して居たりしは皆
離れたることくなり。先家内無事なり。此節此ふしんへ
懸りては財用始ほとんと窮し、又不拵しては公務か出来
す寧止んやと茫然としてありしかは、忠恕か来りて此節
柄私の事にあらす自らの家を明て参らせんと云より。翌
日登城。公辺も有りのまゝに申まいらせて直に保戸野
〈注・秋田市〉へ行り。夫より忠恕は別に今の小坐を補
理せり。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 612
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 秋田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒